ADHDでACのオタクがパワハラ受けて適応障害になってEXILEが好きになった話(1)
この話を書くことについて
この話は、親友に勧められてエッセイを書いた方が良いと言われたので、
どうせなら、自分の奮闘記でも書こうかなと思ったことがきっかけだ。
これを読んで、誰かの心が傷ついたり、現在心の治療中の人は思い出してつらい気持ちになるかもしれない。その場合は、見ないで楽しい動画でも観ることをお勧めする。最近、わたしはHIKAKINさんの動画がネガティブ要素がなくてとても優しい良い動画だと思うようになった。その辺を観るのも良いんじゃないかと思う。
スペック
34才 女 身長は161センチ 痩せ型
エジソンと織田信長がなっていたらしい病気で有名なADHDの注意欠陥の方
簡単に言えば、家庭崩壊している家で育てられた子供(AC、アダルトチルドレン)
合法ニート(傷病手当を会社から貰っているため、病気療養中)
Webデザイナーとして同じ会社に12年?13年ほど従事
2年前からライターとしても仕事をするようになった
補足
小説家を目指して、投稿をしている物書き
同人活動歴15年くらい。
適応障害になるまで
適応障害の診断を受けたのは去年の9月頃。
適応障害がよく分からないと思うので、軽く説明すると、適応障害は鬱病とは違う。
特定の状況があまりにも辛すぎて、それに対応する気分とか行動とか色々と問題が出る。心のアレルギー反応みたいなものだと思う。ちょっと違うかな。心に大きな轍ができていて、行動療法や薬(医師による)によって、その轍をちょっと浅くするみたいな治療法しか取れない。(人によると思うし専門家ではないので、断言するのは怖いのでみんな調べよう)
要するに、治らない。対処療法が主の病気。
全然軽い説明じゃなかった。
その適応障害になったのは、9月の初め。といってもこれは医師による診断書が出ただけで、恐らく適応障害の症状が出て居たのはもっと前だ。
職場のモブアベンジャーズの説明
職場のことで何が起こったか、結論から言えば、全員がみんなモブだった。ワンピースの、作者がお遊びで入れてくれるあのへんなパンダマンみたいな人。
モブの人たちは、思考のレイヤーが0・5くらいなんだと思う(体感ワンピのキャラは思考レイヤー平均3くらいはあると思う)。
分かりやすく自己主張の強いお局のブス(デザイナーのリーダー)に嫌われて居たし、よく居る仕事ができない40代のおじさんに責任を押し付けられて居たし、職場に三人は居る結婚女磨きが人生の80パーセントを占めて居る30代の姉さんに仕事ができないことをリーダー経由で告げられて居たし、お局にデザインの花形仕事を奪われることを相談した横文字大好き自称IT向いてるリーダーには、「自分の好きな仕事をするべきなんだよね」と会うたびに言われた。
そんな思考レイヤー階層ほぼねーのに、アヴェンジャーズみたいなチームを求める浅はかな人たちは、私がミスをするたびに責めたし、ああやっぱり貴方は何もできない変人ですねみたいな扱いを受けた。
いや、お前が悪いんじゃねって私も思って居たし、ここまで読んだ人はみんな思ったと思う。
だが10年越えて仕事をしていて思ったのだ。会社で仕事をするというのは、チーム戦だ。攻守ともに100パーセント処理できるなんて人間は社会には存在しない。得意があって、不得意がある。
私は、凡ミスがあるし、集中力が高い方ではなかったが、ライターとしては処理能力が優れていたし、デザイナーとしては色彩感覚やデザインの感覚値がお客さんの望んだラインを逸脱することはなかった。
現に、そのクレイジーなモブアベンジャーズに入る前は、それなりに社会人としてやっていけていた。自分がADHDだと気付かなかったのだ。私の不得意なことしてくれた優しいヒーロー達ほんとありがとう。
例えば、どんなに仕事ができないといっても、その人間に対して、高圧的な態度をとるべきではないし、パワハラはするべきではないのだ。人は、仕事をする権利があるのだから。
心のダムが決壊した日について
話は逸れたが、そんなモブアベンジャーズの活躍により、私は体調がどんどん悪化していった。
こころの病気になると朝起きれないというが、いやあれ本当だった。
自分は関係ないと思っている人は、みんなダムが崩壊するまでわからないんだと思う。残念ながら、リスクはみんな抱えているし、誰でもどんなタイミングでも心が病気になる可能性はあるのだ。
私は背中がとにかく痛かった。今でも痛むが、今その背中の痛みは自分が限界サインなど思うことにしている。アラート機能が背中についている私マジ凄いと思うことにしている。思うしかない。
症状が悪化していくと、朝は起きれない。電車にどうにか乗っても、気持ち悪くなって途中下車を繰り返す。諦めて帰ることもあった。
先程チーム戦という話をしたが、そのチームに自分が合わないのであれば、自分がそのチームを離れるという選択肢が社会人には存在している。自分で辞める権利もあるのだ。
当然自分の心の限界を感じていた私は、マネージャーにチームを離れたいと伝えた。
私はお客様先に派遣される部署に所属されていたので、一度本社に戻してもらって、ほかのお客さん先のチームに入れて欲しいと申し出たのだ。
のちに、クレイジーサイコだと判明するマネージャーが私の願いを却下した。というか、まあまあといなし続けた。
理由は簡単だ。お客さんから評価を得るライティングを出来る人間が、私しか居なかったからだ。
※ちなみにこのライティングの所為で本職であるはずのデザインの仕事が圧迫されるし、お局にデザインの花形仕事を奪われる言い訳にされ続ける。
果たしてその日は訪れた。
心のダムが決壊したのだ。通常のダムは猛烈な雨量や台風によって引き起こされるが、私の場合は40代の仕事ができないおじさんによってだった。
元々表面張力ギリギリまで張り詰めているダムだったので、おじさんの自己責任を全部私に丸投げして怒鳴りつけるスタイルによって、簡単に決壊した。
※ちなみに自称ITが向いてるリーダーは、おじさんが私を怒鳴りつけている状況をほかのメンバーに確認して、「そんなに怒鳴りつけているとかいうほどではなかったと思う」とわざわざダムが崩壊中の私に報告してくれた。
おじさんの前から立ち去って、マネージャーに泣きながら電話して、それでもとりあえず次の日は休みにしてまた来てくれというようなことを言われた。
またしてもいなされたのだ。
私はそこで、オタクの相方に電話をした。彼女は某金融機関の某チームのマネージャーをしている非常に有能な女である。
彼女に言われたことは、今でも忘れない。
会社を辞めたいと言った私に彼女は冷静に「辞めたいなら辞めてもいい。でも、貴女をそんな風にさせた責任は会社にある。その状態で会社を急に辞めてもお金の問題があるだろうから、まずは医者に行って診断書を貰って、お医者さんと相談して傷病手当を貰うなり、取れるものを取ってから辞めたらいい」と言ってくれた。
私は彼女との電話を終えてすぐに、自分の家から一番近くて、著名なクリニックを予約した。
その間に、フロアには戻れないし、どうしようかと思っていると自称ITが向いてるリーダーに愚にもつかないような話し合いの場を設けられた。
※後に判明したのだが、彼は私のライティング能力が、異常に高く、お客さんの求めるラインに他のメンバーではそれがカバーできないレベルになっていることに気づいて居なかった。
リーダーになだめられつつも、自分の中ではもう、この場所に居られないだろうことは悟って居たので、取り敢えず近々の締め切りに対応できるようにライティングの仕事だけは終わらせて帰った。ダムが決壊しているのに。多分終電近くまで作業して居たと思う。
ちなみに途中まで隣にお局が居たが、彼女のことを殺しそうなほど怒って居たので、席を外して違う場所で作業をした。
家に帰って、痛む身体をベッドに横たえて、ようやくこれで全てが終わると思って目を閉じた。
夜明け前の空は暗いと言うが、いや余りにも暗すぎたし、わたしには明けることがないんじゃないかと思えた。
正直死にたかったし、涙しか出なかった。全ては膜の向こう側の出来事で、幸せな出来事なんて遠くの世界でしかないんだと思った。
そんな33才の夏の終わりの出来事。そう、のちに気付いたが後厄だった。
つづく