ADHDでACのオタクがパワハラ受けて適応障害になってEXILEが好きになった話(2)

前回までのあらすじ

無自覚なADHDにより自己評価の低いオタクがブスで自己主張の強いデザイナーのリーダー(お局)他のスーパー思考回路が低レベルな面々からの協力プレイにより心を病んで、会社を立ち去った。

 

クレイジーサイコマネージャーとの攻防

 いつになったらEXILEの話が出るかと思うが、そこはちょっとお時間をいただきたい。

これは、個人的に心を病んで、診断書が出てからそのあとどうなったなどの手順を過去の自分に教えておいてあげたいので記しておく。

 

傷病手当がでるまでの経済状況

 

傷病手当が出る、と簡単にいうがこれには結構な労力がいる。

 

精神科医の診断書→会社に休職届けを提出→一ヶ月クリニックに通い、医師に傷病手当の申請書を書いてもらう(医師が書く欄がある)→二ヶ月後に傷病手当が出る

 

適応障害の診断が出てから、三ヶ月のバッファがあるのだ。その間、クリニックに通い、薬代、心理士とのカウンセリングもセットでしていると、

→診察代+カウンセリング代✖️8セット さらに、ここで初期費用の診察代や診断書代金などがかかってくる。

 

そしてここから肝心。三ヶ月無給状態が続くが、どうなるのか。

→最初の一ヶ月は、給料を前借りする形で貰えるが、二ヶ月目になんとその前借りした代金+会社が立て替えた住民税を請求される。

 

傷病手当が出るまでの三ヶ月の経済状況はどうなるかというと、

 

診察代+カウンセリング代金+薬代✖️8セット(2ヶ月目で2週間に一度の診察を勧められる。これは人にもよるので注意)+住民税3ヶ月分+前借りした給料1ヶ月分

 

これを全て立て替えなければならない。

さらに、一人暮らしの場合家賃と食費生活費などがかかってくるので、東京の一人暮らしが1ヶ月平均10万円くらいで暮らせるとなると、

 

御察しの金額になる。(自分の生活費、給料と照らし合わせて見て欲しい)

※診察代金、カウンセリング代金は病院によるのでその辺は調べて見て欲しい。

 

心の病で休職し、1ヶ月で病が治ってないのにもかかわらず経済的な理由で戻ってくる人も多いと聞く。

ちなみに、うつ病などの場合、保証が出るが、適応障害は出ない。

そのへんは色んな機関に出ていることなので、調べて欲しい。

 

ちなみに私はこのお陰で、海外旅行でもしようと思ってまとめて持っていた貯金が消えた。

最初の1ヶ月はまともに家を出ることができず、コンビニで買ったご飯を3日おきに食べるか、あとはもう寝ているかを繰り返して居た。それでも、月の生活費はそこそこかかったと思う。

 

こんなことをなぜわざわざ書いたかというと、

マネージャーはこの辺のことの告知を、一切しなかった。

適応障害の診断書と、休職届けとみなし勤怠と今後のことについて、話に行った時に、来月に給料の前借りした分の請求が来るなどのことは軽く言われた記憶があるが、それ以外の告知はなかった。

 

後に、なぜ教えてくれなかったかと問うと、彼は「ギリギリ精神状態の人にその話をして、その場で絶望して死なれたら困るから」とのことだった。

他のマネージャーにも聞いたのだが、これには告知義務(会社にもよるのでその辺は人事に問い合わせて欲しい)があって、彼の言い分は頭が狂っているとしかいいようがない。

 

クレイジーサイコパスなマネージャー

彼は、40代半ばで、ファーストコンタクトは7年前くらいだった。

その頃は、異業種からこちらの業界に映ったばかりで、彼は30代半ば、とあるチームのリーダーとしてそれなりの成績を納めていたように思う。

ちなみにその頃から私は彼とはあまり気が合わず、

物事を真剣に受け止めずに笑い飛ばす人だなあという認識だった。

 

彼がマネージャーになったのは、2年前くらいだったと思う。

マネージャーとしての評判はあまり良くなかったし、お局と自称IT向いてるリーダーは彼が余りにも適当だと言っていた。

私は、すでにお局との折り合いが最悪になっていたので、折につけて彼に愚痴ってはいた。だがその度に、笑い飛ばされて流されていた。

その時点で10年ほどこの業界にいて、彼のようなマネージャーは腐るほど出会ってきたので、私もそれほど気には止めていなかった。自分が彼のお陰でとんでもない目にあうまでは。

 

さて、そんなわけで私は自分で予約を取ったクリニックに行き、

精神科医に相談してその場で診断書が出された。その診断書に書かれている「適応障害」という文字を見て、自分がそんな病気だったのだなと思ったぐらいだった。

それくらい、会社に行きたく無かったし、その免罪符に感謝していた。

 

そして、クリニックに行った帰り、乗り換えのための少し屋根があるホーム手前で、私はマネージャーに電話をかけた。

メンタルクリニックに行き、医師に診断してもらい、適応障害という診断を受けて1ヶ月は休むということを。

 

「え? 何それ、ふざっけんなよ!? マジで!?」

 

という言葉を開口一番に発した。休日で、おそらく寝起きだった彼の本音だったのだろうと今でもはっきりと覚えている。

 

その後、医師の診断があるということを繰り返す私に、彼は少し冷静さを取り戻したのか、取り繕うためか知らないが、「急に休まれても困るし、その診断書を出さなければ行けない手続きがあるので、本社に来て欲しい。そしてその旨は他のメンバーにも伝える」というような解答だった。

 

その後母親にも電話してことの次第を伝えて、ひと騒動あるのだが、それは後でまとめて書くとして、ひとまずそこから3日後、私は取り敢えずの休養を経て、本社に書類を持って向かった。

 

憔悴しきっていて、本社へ向かう30分の電車でさえも、途中下車したり、歩くスピードも落ちているため、おそらく一時間くらいはかかったと思うが、とにかく本社に着いた。

 

そこで私を待っていたマネージャーは、応接間に私を通して、必要書類を書かせた。

私は、そこで、ふとメンバーたちはどうしているのか、私の残したライティングはどうなったのかという話をした。

要約すると、以下になるらしい。

 

責任を押し付けていた40代の仕事ができないおじさんが、私の仕事を引き継いでライティングをするという話になったらしく、自称ITが向いてるリーダーもそれに同意しそのようにして私の穴埋めを行うと言ったらしい。

マネージャーはそれを一蹴し、「お客様が求めるライティングのレベルを君達では保てないので、本社にそのライティングを引き受けるか、ライティングの案件を縮小する」ということにすると教えてくれた。

 

「そこでようやく、ハッとしてしていたから、君のライティングのスキルがどれくらいだったか、どれくらい負荷がかかっていたか彼らも理解したと思う」

 

となんか夕日をバックにスタバのコーヒーを手渡しながら微笑む優しい上司みたいなことをぬかした。

度重なるパワハラで自信を完全に失っていた私は、その場で泣く力もなかったと思う。ああ、そうですかと返して、彼に必要書類を手渡して、そして終わりになった。

 

私は10年以上も同じ会社にいるため、古い付き合いのマネージャーも何人かいて、私を心配して話しかけてくれるマネージャーがいた。

新卒3年目くらいから付き合いのある、娘さんが二人いる50代のマネージャーだった。

彼は、お局のこともよく知っていて、私の話をじっくり聞いてから、「君の言いたいことも分かるけど、俺は彼女のことをよく知っているし、そういうことをするとは思えない」というようなことを言って庇った。

それは、彼なりの正義というか、憔悴しきっている私に対する警告だったように思うが、その場ではわたしには逆効果だった。

言葉もなく泣き出す私に無言でティッシュを出し出して、

 

「ところでマネージャーの彼は、どうして君を本社に戻さなかったの? 人間誰しも合う、合わないが存在する。君は十分お客様先で年月を重ねて本社に戻って違う案件に付けるステータスだったと思うけど」

 

というようなことを聞かれた。私は、サイコパスが答えた通りのことを言った。

「いや、それはちょっと」

と言葉を濁してから、さらに私のしていた案件はどうなったのだと聞いて来た。

ライティングの件は、お客様と彼が交渉して縮小になるらしいですよと返すと、

「いやそれは無いだろう。彼は大丈夫なのか」

と聞かれた。

大丈夫では無いし、そもそもまともに人と話せる状況では無い私にそんなことを聞かれても知らねーよとしか思わなかった。

 

ここでの会話を要約すると、サイコパスマネージャーの行いが、完全にマネージャーの立場では常軌を逸する行動になっているということだった。

だが、そんなことはお先真っ暗の状態で治る見込みも、自分が仕事に戻れる保証もない状態のわたしにはどうでもよかった。とにかく早く家に帰りたかったのだ。

 

その後、しばらく連絡を取っていなかった新卒時代からお世話になっていた元上司(部署が違う)に挨拶の置き手紙を残して、家に帰った。

 

そこから、療養の日々が始まったのだが、

うちの会社はそこそこ大きな会社のため、療養1ヶ月目に「長期でお休みを取る貴方へ」みたいな冊子が届く。そこに、どれくらいで傷病手当が出るか、そのほか費用は住民税はいつまで払うかなどが詳しく書いてあった。

療養1ヶ月目の間は、はっきり言って記憶があまりない。ベッドとトイレと、1週間おきくらいにコンビニでようやくなにかを買ってきて、帰ってきて寝るようなそんな感じの生活だった。夜なのか昼なのかわからない時間にふと外に出て、そして家に帰ってきてぎりぎりの体力でお風呂に入って、そしてベッドの中でなぜか泣くような。そんな感じの、人の営みとはおおよそ遠い感じの、繭の中に引きこもっているような感じの生活だった。

 

2ヶ月目に、住民税やその他諸々会社が立て替えてくれているものを支払う月がやってきてようやく、冊子に書いてあったことの意味を理解した。

そこで、今日の記事の最初に戻るのだ。とんでもない支出が起きていると。

1ヶ月ご飯もまともに食べられず起き上がれもしない状態が続いたので、諸事情で実家に帰って療養することになった。

支出だらけで、貯めていた貯金もどんどん減って行く。その残高を見て、わたしは2週間に一度連絡が来たマネージャーに愚痴をこぼした。

 

「何でこれを最初に教えてくれないんですかね。こんなにお金が無くなるなんて」

 

当然の愚痴だと思う。療養に入っているのに、凄まじい支出で経済状態が悪化して行くのだ。心をケアしなければならない時期に、完全にまた一つのストレス要因が増えているのだから。

そこで、サイコパスなマネージャーの「ギリギリ精神状態の人にその話をして、その場で絶望して死なれたら困るから」に戻るのだ。

そしてさらに、彼は聞いてもいないのに

 

「君がパワハラを受けたというチームの人たち全員と面談して聞いて来たけど、彼らはみんな、君のためを想ってやったことだって言ってたよ」

 

と教えてくれた。何かのCMにもあったが、「人のためを思ってやる」という行為は、「ありがた迷惑」や「自己満足」という言葉に変換される。

その行為を行う人々は、「相手がこれを求めているという明確な発言とそれを確認し、認識のズレがないか共有し合う」という重要な項目が抜け落ちている。

そして、そんな人々は、得てして認識のズレに気付いても、その場しのぎのごまかしで自分の非を認めたがらない(個人的な感想である)。

 

ちょっと難しい言葉にしてしてしまったが、自分たちがパワハラしてましたなんて、本人達に聞いても「はいそうです、しました。あいつの存在自体が嫌いだし、ムカついたりイライラするたびに仕事を奪ったり罵倒を浴びせていました」なんて答えない。パワハラするような連中はその自覚は何もなし、自分が悪いとも思っていないし、相手のことなど何も考えていないからだ。

 

そんなアホな連中のご報告をそのまま受け取った上に、わたしにわざわざご報告して来たのだ。このマネージャーは。療養中で、ベッドの上でやっと電話しているような状態の人間に対して。

青龍刀があったら振り回しながら彼に走って向かっただろうが、銃刀法違反で捕まってしまう日本ではそれも叶わないし、そもそもうちに青龍刀はなかった。

だがそれくらいの、言い様の無い怒りを覚えた。

それと同時に、「こいつやべーぞ」とアラートが頭の中で鳴り出した。

 

その後2ヶ月間程彼と電話越しで話すたびにアラート機能が正しかったのだと悟るのだが、備忘録というような形で以下に記しておく。

 

傷病手当攻防

長期療養が必要で、その間会社で働けなくなった場合、その穴埋めように保証を受け取るに当たって、実は二種類の機関から受け取ることができる。

 

難しくて私も未だによく分かっていないが、

簡単に言うと、

交通事故など第三者の関与が原因で外傷を負ってしまった場合の人に支給されるお金と、

仕事が原因で心や体が病になってしまったために療養が必要になる人に支給されるお金、この二種類になる。

 

一つ目の方が、実は支給される金額は大きい。

私はパワハラを受けてこの病気になったという自覚があったため、当然一つ目のお金が欲しかった。

それが叶わなくとも、せめて彼らに一矢報いたい気持ちであった。

今でもそうだが、適応障害になって、私は電車にもまともに乗れないし(公共機関全般)、夜も眠れないし、家の外に出ることも、食べることさえうまくできなくなった。そんな状態になった原因の人々が、のうのうと今日も生きて美味しいご飯を食べて人並みの生活をしているのだ。

 

せめて、君は彼らが原因でこんな風になったんだよと言う、明確な保証が欲しかった。

だが、パワハラについての訴えを起こす場合、大きな障害がある。

まず、「明確な証拠」が必要になる。

そして、「第三者からの証言」も必要だ。

私はそのどちらも持っていなかった。

 

そんな私に対して、サイコパスなマネージャーは自分では私を制御しきれないと判断したのか、元上司H氏(私が置き手紙を残した違う部署の課長)に仲介を頼んだ。

元上司とのやり取りで、もにょもにょ否定するだけだったマネージャーの不明瞭な説明で怒り心頭の私が、パワハラの訴えを起こす場合、それだけでどれほどの労力、そして保証がおりるにせよ時間がかかるかも知った。

 

それだけの体力も、証拠にも自信がなかった私は、大人しく傷病手当(仕事が原因で療養が必要になり、補填のためお金をもらう方法)を受け取ることに同意し、今度は傷病手当の書類を進めて行くことになった。

 

傷病手当を受け取るには、申請書が必要だがそこに、なぜその病気になったかの状況を書かなければならない。

当然私は、そこに素直に自分が受けた状況を書いた。

 

「40代のディレクターにフロア内で叱責を受け、止めてもさらに罵倒を受けたため※それまで病気の兆候はあった」

 

サイコパスなマネージャーはこれにも難色を示した。

曰く「この状況だと、パワハラ受けているようなかんじに相手は受け止めるから、うまく傷病手当が出なくなるかもしれない」というようなことを宣った。

何を言っているのか分からなかったので、もう一度聞いて、彼は、嘘を書いてなるべくスムーズに傷病手当が下りるように促した。

 

こいつ何言ってんだと思いながら、元上司H氏にまた連絡して、彼に仲介に入ってもらっって解説してももらうに、以下のようなことがあるらしい。

 

傷病手当を出すのは、健保だがその審査に、パワハラをにおわせるような書き方の場合、審査が差し戻しになる可能性があるということだ。

 

だが、元上司H氏は続けてくれた。

「彼の言っていることはあまりにもナンセンス。この場合、可能性だけで君の心をないがしろにするべきではないし、それより問題なのは、嘘を書いて後で君が会社に戻る際に面接をうけるけど、そこで話のつじつまが合わない方だよ」

 

果たしてマネージャーの忠告を無視する形で提出した傷病手当の申請書は通り、その2ヶ月後無事傷病手当が出ることになった。

 

傷病手当攻防や、彼のセリフの数々に、病気療養中の私は彼の声を聴くと気分が悪くなるようになった。

そのため、電話ではなくメールでやりとりするようにお願いした。

社会人として、それは如何なものかと思う人もいるかもしれないが、私はそんなものより、自分の体の療養を優先した。

そうすると、自然と彼から連絡が減り、療養6ヶ月目からついに連絡が途絶えた。

 

手元にある会社から届いた「長期でお休みを取る貴方へ」冊子には、以下のようなことが書いてある。

 

「療養中は、2週間に一度くらいのペースで、上司と連絡を取りましょう。※体調の悪い時は、無理をする必要はありません。不安や療養について上司に相談し、連携を取って無理のない復帰を目指しましょう」

 

 

 

つづく